札幌映画サークルの「筋肉の鎧を脱ぐ時」内駿太郎を公開しています



ドウェイン・ジョンソン、またの名を「ロック様」。プロレス界のスーパースターから俳優になった彼は、常に圧倒的な肉体から明るいオーラを放ち続ける存在でした。11 年前高校生だった僕が、初めて彼を映画館で観た『ワイルド・スピード SKY MISSION』で、「左腕に力を込めて、はめていたギブスをバリバリと砕き、巨大なガトリング砲をぶっ放しながら仲間の危機に駆け付ける」シーンに圧倒されたのを、昨日のことのように覚えています。
そんなハリウッド的マッチョの象徴であるロック様が、まさかA24 と組んで、繊細な伝記映画に主演するとは誰が想像したでしょうか。意外性から期待して映画館に足を運びましたが、オーラを封印したロック様だからこそ表現できる、心に訴えかけてくる作品でした。
90 年代末、総合格闘家マーク・ケアーはキャリアの絶頂にあった。「霊長類最強の男」と謳われ、連戦連勝を重ねる彼だったが、東京で行われた大会「PRIDE」で、思わぬ敗北を喫する。この日を境にケアーの精神は悲鳴を上げ始め、恋人ドーンとの関係も悪化。さらには依存性の強い鎮痛剤オピオイドに溺れていく…。
ロック様という俳優は、彼自身が極めてアイコニックな存在です。これまで彼の作品に観客が求めていたのは、演技力やキャラクターの演じ分けではなく、「○○を演じるロック様」のアクションと肉体でした。しかし今回は「彼が演じた役に溶けて消えていく」という、未だかつてない感覚を味わったことに、僕は強く驚いています。
カズ・ヒロの特殊メイクを身に纏ってトレードマークのタトゥーを消し、悩みを抱えた内省的な人物であるケアーに、外見も内面も近づいていくロック様。映画の後半で彼がスキンヘッドになり、風貌はいつもの姿になったにも関わらず、「頭を丸めたケアー」として僕は認識していました。俳優ロック様に対する僕の印象は、ここで 180 度変わったのです。
ロック様がマッチョイズムの解体という、今まで自分が出ていたような映画と真逆の題材に挑んだというのがとても興味深かったのですが、彼がマーク・ケアーという人物に惹かれるのは、ある種必然にも思えます。劇中敗北することについて記者に問われ、その感覚を知らないと答えるケアー。これは映画の中で無敵であり続けるロック様にも、きっとあった感覚なのかもしれません。たとえ知っていたとしても、最強の格闘家や肉体派俳優が、敗北という弱さについて口に出せない空気というのは、恐らく存在するのでしょう。弱みを見せられないがゆえに押しつぶされ、さめざめと涙を流すケアーの痛々しい姿に、胸を締め付けられてしまいました。
またこの作品で僕が惹かれたのは演技だけではなく、それをいかに記録するかという点においてもです。格闘技を題材にした映画というからには、ショーアップされた激闘をイメージするでしょう。しかしリング内にカメラを入れないというルールにより、ロープが俳優に被ろうがお構いなく、一歩引いた視点が徹底されます。このあえての「引き」こそが、却ってケアーの心情を強く表現しているのです。それは試合シーンだけに留まることはありません。ケアーとドーンが仲睦まじくジムを後にするという、ただそれだけのシーン。この様子を階段の吹き抜けにカメラを配置し、背中だけを捉える画で撮影したことが、無性に印象的でした。まるでケアーという人間を遠くから記録するような、客観性を伴うアングルだからこそ、映画全体が生々しさの漂うものになっています。
今までと真逆の作品の中で覚醒し、ケアーと一体化したロック様が終盤に見せた表情、そしてその後待つどんな勝利よりも価値のある結末は、言いようのない余韻を残してくれました。強さという鎧を手放した時に何が起こるのか。それを克明に捉えたこの伝記映画は、誰かにとっての救済にもなるでしょう。
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