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『急に具合が悪くなる』を観て
「急に具合が悪くなる」のは現代社会そのものではないか
 本作には原作がある。末期がんの女性哲学者・宮野真生子と女性人類学者・磯野真穂との 20 通に及ぶ往復書簡である。映画の内容に被るところはまったくないが、余命いくばくもない者の真剣さ、ひたむきさは手紙も映画も同じ魂を持っていると感じた。末期がんのかろうじて均衡がとれている状態から、急に具合が悪くなり歯止めがきかずにそのまま亡くなってしまう。その均衡が崩れる一瞬をタイトル名にしている。
フランスの民間介護施設の責任者マリー=ルー(ビルジニー・エフィラ)は、運営の仕方で悩んでいた。もっと人間らしい介護ケアを実現したいのだが、有力な看護師からもっと効率的な介護が現実的であると反対されて思うように進まないのだ。そんな時、森崎真理(岡本多緒)の演劇(イタリアで精神病院を廃止した話)に出会う。真理はマリー=ルーに自分が末期がんであることを告げ、その後二人は意気投合して話し続ける。話の内容は、マリー=ルーは介護施設の運営がうまくいかないこと、それに対し真理は介護現場だけの問題としてではなく、社会全体の構造として捉え直して見せる。
真理によれば、資本主義は「今ここ」を豊か
にするために、その外部から人や資源を取り込み、不要になったものを外部へ押し出してきた。それは社会と自然、都市と地方、男と女、健康な人と病者、介護する者と介護される者、仕事と家庭を切り分けて考えることでもある。私には、「今ここ」を優先するとは、目の前の効率だけを追い、将来に生じる負担を外へ押し出す発想のように思えた。

 なぜ真理は社会の構造を話したのだろう。介護施設の運営と社会の構造とどんな関係があるのか。資本主義の仕組みと介護施設に共通していることは「今ここ」という考え方と「境界を引くこと」である。介護施設でも、利用者、職員、予算、業務を効率よく区分して管理しようとする発想が働く。それは社会全体を効率性で組み立てようとする資本主義の論理と重なって見えた。マリー=ルーは最初、「もっと予算があれば」と考えていた。しかし真理との対話を重ねるうちに、「予算が足りない」の背後にある「人を分ける構造」そのものに目を向けるようになった。そこが彼女の最も大きな変化であり、真理が資本主義の仕組みを話した理由に他ならない。

マリー=ルーと真理との会話が心地よい。それは出会ってすぐなのに、旧知の仲のように心を開いて彼女らが今抱えていることをさらけ出していること。それをまっすぐに受け止め真摯に答えていること。その関係が偶然の出会いなのに、生きた証を残すことを覚悟する二人の勇気が、必然の関係にしてしまう。
本作はそんな危機的な状況でも打開する道があるのかもしれないと問いかける。森崎真理の演劇が2 度行われるのだが、一度目は精神病院を廃止する思想を語る演劇であり、二度目はその思想を現実社会でどう実践するかを身体で示す演劇として描かれる。言葉だけでは社会は変わらない。身体を伴った実践が社会を変えるには必要なのだ。精神病患者を隔離するのではなく、市民の中で一緒に生活してもらう。境界を固定せず、人を排除しない社会を考える。病者と健常者、介護する者と介護される者を切り離さず、人と人との関係を結び直していく。そうすれば解決の糸口が見えるのではないかと受け止めた。

『急に具合が悪くなる』とは、末期がん患者だけを指す言葉ではない。介護制度も、人口減少に苦しむ地方も、そして資本主義が抱えるさまざまな矛盾もまた、かろうじて均衡を保ちながら成り立っている。映画は、その均衡が崩れる瞬間を恐れるだけではない。人を切り離すのではなく、関係を結び直す営みこそが危機を乗り越える道ではないかと静かに問いかけている。                 
                     石尾 和彦
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