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活動報告の詳細
3/23 『東京原発』上映会を開催します。 (ver. 7) 【終了しました】
2013.02.11
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【お詫び】
上映会の当日になってから、混雑状況を配慮して上映する劇場を急遽、告知していた“地下劇場”から定員数が多い“2階劇場”に変更しました。また、監督のトークの時間も各回の終了後に設けました。ご迷惑をおかけしたことをお詫びします。


【ネット・クーポン】
上映会当日、受付において、このトップページの画像を印刷または携帯端末で画面表示された時に、前売り料金でご入場していただくことが出来ますので、どうぞご利用ください。


札幌映画サークルは、2013年3月23日(土)、札幌プラザ2・5(地下劇場)において、原子力発電の危険性、混迷を続ける政治・経済、若者による犯罪の増加等々、現代の日本が抱えるさまざまな問題を、痛烈なブラック・ユーモアを交えて描いた山川元監督のパニック・サスペンス・ムービー『東京原発』(2004)の上映会を開催します。


『東京原発』
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__ この映画、福島第一原発事故の9年も前に製作されていたんです。


“都知事乱心!?
   都庁核爆発!?
      首都壊滅!?
         いま、日本滅亡への
            カウントダウンが始まった!!”


『 東 京 原 発 』

2004年/山川元監督作品/日本映画/カラー/ビスタサイズ/110分


“東京にも原発を。都知事の発言から始まるブラック・コメディ。”


監督・脚本・・・山川元/製作・・・池田哲也、石原真、西健二郎、福田豊治、北側雅司/製作総指揮・・・横濱豊行、川上國雄、石川富康/音楽・・・崎谷健次郎/主題歌・・・「♪TOMORROW」/撮影・・・北澤弘之/編集・・・阿部亙英/製作会社・・・「東京原発」フィルムパートナーズ(グランプリ、バサラ・ピクチャーズ、日活、衛星劇場)/配給・・・ザナドゥー

出演者・・・役所広司(天馬都知事)、段田安則(津田副知事)、平田満(笹岡産業労働局長)、田山涼成(佐伯政策報道室長)、菅原大吉(石川都市計画局長)、岸部一徳(大野財務局長)、吉田日出子(泉環境局長)、綾田俊樹(榎本教授)、徳井優(及川特別秘書)、益岡徹(松岡原子力安全委員)、塩見三省(運転手・中村)、後藤昂(青山透)、渡辺哲(運転手・渋谷)、他


東京に原発誘致を掲げるカリスマ都知事 vs 反対派副知事。
白熱する都庁へ爆弾と共にプルトニムがやって来る!?

超豪華な演技派俳優たちが総出演。
監督は、助監督として鈴木清順、降旗康男、伊丹十三、周防正行などの作品に携わってきた山川元。


【作品公式HP】
http://www.bsr.jp/genpatsu/
(予告篇や詳しい情報を見ることが出来ます)


* この『東京原発』は、2004年5月に札幌で公開されました。(東京での封切りは、同年3月13日)


上映日程
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【会場】
札幌プラザ2・5 2階劇場 (旧・東宝プラザ)
   札幌市中央区狸小路5丁目

【上映時間】
2013年3月23日(土) 開場13:00
 1) 13:30〜、  2) 16:30〜

* 上映の合間に、山川監督の講演があります。

【鑑賞料金】
  前売り券 1000円 (当日1300円)
  シニア・学生券 1000円 (当日)
  札幌映画サークル会員  無料

*大丸藤井、4丁目プラザ、道新、教文のプレイガイドで発売中!

【お問い合わせ・ご予約】
  札幌映画サークル
  011-747-7314 (Tel & Fax)
  sapporocinema@yahoo.co.jp (Eメール)
  
【主催】
  札幌映画サークル

【後援】
  札幌市、札幌市教育委員会


札幌映画サークル会報“シネアスト”から・・・
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【3月23日(土)に、札幌プラザ2・5で上映する『東京原発』の解説を、札幌映画サークルの会報“シネアスト2013年3月号”から抜粋して転載しました。ご興味をいただけましたら、是非ご来場下さい。】


“フクシマの9年も前に、原発の危険性を果敢に訴えた映画があった。それを当時の私たちは単にコメディとして受け止めていたのではなかったか? 今、またこの作品を観て、原発のことをよく知ろう! 遅すぎることはない。”


<あらすじ>
200X年。パフォーマンスでリーダーシップを発揮し、都民の支持を得てきた天馬東京都知事(役所広司)が、臨時局長会議の席上で爆弾発言。
逼迫する財政の再建のために、東京に原子力発電所を誘致すると言い出した。
しかも、庁舎のすぐ隣の中央公園に。
驚いたのは、その場に招集されていた津田副知事(段田安則)、佐伯政策報道室長(田山涼成)、石川都市計画局長(菅原大吉)、大野財務局長(岸部一徳)、泉環境局長(吉田日出子)、笠岡産業労働局長(平田満)の6名だ。
会議が誘致に傾くのを見て、原発に反対する副知事は、物理学の権威で東大教授の榎本を招いた。
話を聞いた面々は、原発やエネルギー政策の問題に気づかされる。
しかし、喧々諤々議論を戦わせた結果は、“経済優先”で誘致が盛り返す。
その矢先、フランスから極秘裏に運ばれてきたプルトニウム燃料を載せたトレーラーが、爆弾マニアの少年・透にジャックされてしまった。
しかも、そのトレーラーは、都庁庁舎に向かっているという。
パニックに陥る都庁の人々・・・。

<『東京原発』は2年間も上映されず、オクラ入り寸前だった>
2002年に完成したものの、公開が決まらずお蔵入り寸前だった『東京原発』は、2004年に公開され、翌年招待された“EARTH VISION地球環境映像祭”では、最優秀賞を受賞した。
2011年フクシマ事故後は、『東京原発』が改めて見直され、各地で上映されている。
毎日新聞の2012年10月8日朝刊“風知草”というコラムは、「(山川監督は)役所に出演を依頼、快諾を得た。他の出演者も脚本をおもしろがり、二つ返事で乗ってくれた。試写を見た先輩監督いわく『いやー、すごいもの撮りましたね。でも仕事がなくなりますよ』・・・果たしてその通りになった」と述べて、往時の原発ムラの絶大な権力を示唆している。

<作品解説>
「安全だって言うんなら東京に作れよ」って、よく冗談に言ったものだが、現実はロクな産業もなく明日にも廃村になりそうな過疎の地に原発は多く作られた。
「国策だ」という声にひれ伏し、「経済が潤う、雇用ができる」と聞いて、地域の官民一体となって歓迎した。
少数の反対者は村八分同然、こんな問題を抱えながら日本の原発はスタートしている。
フクシマもその例に漏れないが、まったく原発の恩恵に浴しない住民までが住むところも生活の手段も奪われ、人間関係までも奪われるのが、原発事故の恐ろしさだ。
ところで、この『東京原発』の山川監督は、別に原発問題を取り上げた作品を作るつもりはなかった。
彼の制作意図を“シネフロント”323号の監督インタビューから抜粋してお伝えする。

<単にヒーローものを作りたかった>

「最初は原発じゃなくて、単にヒーローものを作りたいなと思っていたんです。脚本を書いた頃(1999年頃)は、景気が悪くて不景気のどん底でした。そういう時って、大衆というのは、なんとなくヒーロー的なものを求めるじゃないですか。いい素材がないかと考えていた時に、石原都知事もそうですけど、長野の田中康夫さんとか、大阪の女性初の大田知事さんだとか露出してきたんですよ。「あっそうか、政治家か」と。ちょうどその頃、東京都がフィルムコミッション的なものを立ち上げたばかりだったので、都庁を借りられるかもしれないと思って、じゃあ、主人公は都知事にしようというふうに考えが進んでいって、都庁を舞台に何をするのかと考えたときに原発に結びついたんです。ここまで原発のことを作品に深く取り込むつもりはなかったのですが、これを撮るには原発のことをわかっていないと話にならないなと思ったので、本当にたくさんの本を読みました。それをわかりやすくセリフにしていく作業というのは結構大変でしたね」

<誰にでもわかるエンターテイメントに>
誰にでもわかるようにしなきゃエンターテインメントになりませんから。役所さんはじめ、俳優さんはみなさん芸達者な方ばかりなので、その存在感というのが大きかったと思います。初めて会った時、みなさんが「監督、脚本面白かったですよ」っていってくれました。

“原発”というのは、“核”ですよね。それを取り上げた日本の映画として、広島・長崎を抜きにして語れないという思いがありましたから、副知事の津田(段田安則)が怒りますよね・・・会議室で。
日本の原子力予算が初めて国会を通過したのが、1954年だと知って、「原爆落とされてから10年も経っていないじゃないか!」って。
それは、広島出身の人間だからじゃなくて、日本人みんながそう思わなくちゃならないことですよね。それが、どこか忘れ去られている。」

(「この映画は、原発は危険と感じていながら何もしないで見過ごして生活している日本人への痛烈な批判にもなっていたが」と聞かれて)

「脚本を書いた時には、そこまで考えていなかったのですが、結果的にそう言うホンになっていたんだろうと思います。無意識のうちに、自分も含めた日本人に対して、そういう思いがあったんでしょうね。そう見ていただいたのなら、それはそれでいいと思うのですが、人によっていろんな感じ方があると思っているので、「監督、この映画のテーマは何ですか?」と聞かれても困ってしまうんですよね。映画はそういうものではないと思うのですが。」

監督紹介  山川元 (ヤマカワ ゲン)
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【プロフィール】

映画監督・脚本家。

1957年、山形県生まれ。
会社勤務、フリーターなどを経て、26歳で映画界へ。
助監督として『カポネ大いに泣く』(鈴木清順監督/1985)、『別れぬ理由』(降旗康男監督/1987)、『花のあすか組』(崔洋一監督/1988)、『ミンボーの女』(伊丹十三監督/1992)、『Shall weダンス?』(周防正行監督/1996)などの作品に関わる。
1994年に36歳で『唐獅子姉御』で監督デビュー。
1998年、2作目の『卓球温泉』は自身のオリジナル企画・脚本を3年かけて実現させたもの。
他に、『ふたりエッチ』(2000)、『弘兼憲史シネマ劇場 黄昏流星群 同窓会星団』(2001)の監督作品がある。

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