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活動報告の詳細
「ベアテの贈りもの」を上映します! 【終了しました】
2005.07.01
【このコラムは、札幌映画サークルの旧HPから移行した文章です】


下記“札幌映画サークルからのお知らせ”にも掲載している通り、2005年第4回目の上映会の作品として、8月26日(金)&27日(土)の2日間、札幌アーバンホールを会場に、2004年に制作(2005年GW東京公開)された藤原智子監督作品「ベアテの贈りもの(The Gift From Beate)」を上映しました。


“平和のため、役立つものが必要です。
女性が幸福にならなければ、世界は平和になりません______。”
(ベアテ・シロタ・ゴードン)

1923年、ウィーン生まれのベアテ・シロタ・ゴードン(Beate Sirota Gordon)さんが、日本の敗戦後、新しい憲法の草案作成の時、“男女平等”の文言を加えた事実は、10年ほど前に公にされ、既に多くの日本人たちの知るところになりました。
彼女が日本の憲法に書き加えた“第24条”(女性の人権と男女平等の条文)が戦後の日本人女性の地位向上と権利にとって、どれだけ強い後ろ盾になったか。あるいは、彼女が提案しながら削除された条文のどれだけが、その後法整備されたか。

この作品は、ベアテさんが書いた“第24条”を起点にして、戦後、日本の女性たちが今日までどのような、地道な歩みと活発な運動を展開して来たかを検証する、いわば、映像による戦後女性史の一断面を描いています。

そして、ベアテさんが不思議な運命の糸に導かれ、世界的ピアニストであり、多くの日本のピアニストを育てた父レオ・シロタと母の深い日本への愛情、更に、日本女性の幸せを願うベアテ自身の情熱に支えられて、この条文が書かれたことを、20世紀の世界的視野で捉えた作品となっています。
(「ベアテの贈りもの」監督・藤原智子)



『ベアテの贈りもの ?私は女性の幸福を憲法に書いた?』
(92分 / カラー / ビスタサイズ)

2004年日本映画(「ベアテの贈りもの」製作委員会)
配給: 岩波ホール

監督・・・藤原智子
製作・・・大和史明
撮影・・・海老根務
照明・・・重田清三
音楽・ピアノ演奏・・・レオ・シロタ

出演・・・ベアテ・シロタ・ゴードン、野村晴一、原田冴子、池野ヒサ、中村玲子、前田薫、池田説子、富田玲子、山口みつ子、山口美代子、田中園子、赤松良子、宇野淑子、石原一子、植本眞砂子、白藤栄子、西村かつみ、正路怜子、井上輝子、緒方貞子 (出演順)

[公式HP・・・ http://www.geocities.jp/michocop/ ]


2004年キネマ旬報ベスト10・文化映画部門第8位


【上映会】
2005年8月26日(金)・27日(土)・・・札幌アーバンホール

【上映時間】
8/26・・・ 1) 10:30?、 2) 12:30?、 3) 14:30? (開場10:00)
8/27・・・ 1) 11:00?、 2) 13:00?、 3) 15:00?、 4) 17:00?、 5) 19:00? (開場10:30)

→日によって上映時間が異なっていますので、ご注意ください。

【入場料金】
一般前売り券 1200円 (当日1500円)
シニア・大学生前売り券 1000円 (当日1000円)
小・中・高前売り券 800円 (当日1000円)
[4プラ、大丸セントラル、道新、ドン・キホーテの各プレイガイドで発売中!
→札幌映画サークルへの電話・Fax・Eメール予約も受付中です]


主催・・・「ベアテの贈りもの」上映実行委員会 (事務局・札幌映画サークル)

後援・・・札幌市、札幌市教育委員会



そして・・・8月3日(水)、藤原智子監督をお招きして講演会を開催します。

【日時・場所】
札幌市男女共同参画センター・エルプラザ4階大研修室
午後6時30分? (開場:午後6時)

講演会参加費 500円

* 講演会への参加は、事前予約制とさせていただきます。
(電話・Fax・Eメール・HPからの“問い合わせ”で参加予約を受付します)

尚、講演会の終了後、監督を交えて交流会を開催します。

“藤原智子監督講演会”が終了しました! (その1)
札幌映画サークルが2005年8月26日(金)&27(土)日に上映会を開催する藤原智子監督の「ベアテの贈りもの」のプレ・イベントである“藤原智子監督講演会”が8月3日に札幌市男女共同参画センター・エルプラザ4階大研修室で開催されました。

大研修室の定員を上回る70名以上の参加者が集まり、監督の映画にまつわるお話を興味深く聴くことが出来ました。

参加してくださった方々へ感謝申し上げます。

尚、その後の交流会にも20数名が参加し、更なる映画の“裏ばなし”に耳を傾けることが出来ました。


[上記の写真説明]・・・

(上)
講演会が始まる前の藤原智子監督&上映実行委員長のミス・バレンタイン
(写真提供・・・管理人)

(中)
講演会の参加者を前に挨拶する実行委員会委員長
(写真提供・・・山口さん)

(下)
講演中の藤原智子監督
(写真提供・・・山口さん)
“藤原智子監督講演会”が終了しました! (その2)
札幌映画サークルが2005年8月26日(金)&27(土)日に上映会を開催する藤原智子監督の「ベアテの贈りもの」のプレ・イベントである“藤原智子監督講演会”が8月3日に札幌市男女共同参画センター・エルプラザ4階大研修室で開催されました。

大研修室の定員を上回る70名以上の参加者が集まり、監督の映画にまつわるお話を興味深く聴くことが出来ました。

参加してくださった方々へ感謝申し上げます。

尚、その後の交流会にも20数名が参加し、更なる映画の“裏ばなし”に耳を傾けることが出来ました。


[左記の写真説明]・・・

(上)
参加者たちを前に講演中の藤原智子監督
(写真提供・・・山口さん)

(中)
講演会の終了後、交流会会場(居酒屋“かんろ”)での監督及び参加者たち
(写真提供・・・管理人)

(下)
講演会の終了後、交流会会場(居酒屋“かんろ”)での監督及び参加者たち
(写真提供・・・山口さん)
藤原智子監督のプロモーション活動
札幌映画サークルは、2005年8月3日に開催された“藤原智子監督講演会”に合わせて、マスコミ各社に対して、いくつかのプロモーション活動を行いました。

8月3日・・・
1) 札幌市役所内・記者クラブにおいて、新聞社数社との会見

2) HBCラジオ(札幌1287kHz)
『多恵子の今夜もふたり言』 (パーソナリティ・河原多恵子さん)の収録
(オンエアは、8月15?18日の同番組内にて→午後11時30分?50分)

8月4日・・・
1) J:Com(ケーブルテレビ)
『さっぽろインフォメーション』 (パーソナリティ・吉岡三貴さん)の収録
(オンエアは、8月12?19日のJ:Com/2chの『さっぽろインフォメーション』にて→8/12午後9時?の初回放送の他、毎日午後12時?、午後3時?、午後7時?、午後9時?・・・リピート放送多数アリ)

2) HBCラジオ
『カーナビラジオ午後一番!』 (パーソナリティ・YASUさん&田村美香さん)の生放送に出演
(午後2時過ぎから15分くらい出演)


[左記の写真説明]・・・

(上)
収録前のJ:Comのスタジオにて (左から、ミス・バレンタイン、藤原智子監督、吉岡三貴さん)
(写真提供・・・管理人)

(下)
生放送中のHBCラジオのスタジオにて (左から、藤原智子監督、田村美香さん、YASUさん)
(写真提供・・・管理人)
「ベアテの贈りもの」の上映会が近づきました!
札幌映画サークルの2005年第4回目の上映会「ベアテの贈りもの」(藤原智子監督作品)の開催が近づいて来ました。

8月26日(金)&27日(土)の2日間、札幌アーバンホールを会場に開催します。
(2日間で合計8回上映します)


[左記の写真説明]・・・

(上)
1945年当時(22歳)のベアテ・シロタ・ゴードンさん
(写真提供・・・岩波ホール)


(中・下)
映画「ベアテの贈りもの」のワンシーンから
(写真提供・・・岩波ホール)
“ベアテはすべてを盛り込んだ / 藤原智子監督講演会の要旨”
8月3日(水)夜、JR札幌駅北口の札幌市男女共同参画センター・エルプラザ4階大研修室で開催した映画「ベアテの贈りもの」藤原智子監督の講演会は70名以上の参加者が集まり、立ち見も出る盛況でした。
ご協力ありがとうございました。
以下は藤原監督の講演の要旨です。

[講演要旨]
ご紹介頂きました藤原でございます。学生時代から北海道は憧れの地で、夜行列車と連絡船を乗り継いで何度も訪れましたが、仕事では3度目になります。

札幌映画サークルの大関さんたちが「ルイズ その旅立ち」を上映してくれた時と札幌市の男女共同参画センターが「夢は時をこえて 津田梅子が紡いだ絆」をやってくれた時、そして今度です。

   “白羽の矢”
私は頼まれ仕事の短篇記録映画を多く手がけていましたが、やっぱり自分の作りたい作品をと長篇第1作の「杉の子たちの50年 学童疎開から明日へのメッセージ」を撮り、札幌でもたいへん評判をいただいた第2作「ルイズ その旅立ち」の仕事などから、「ベアテの贈りもの」を企画した赤松良子さん(元文部大臣)、高野悦子さん(岩波ホール総支配人)たちに白羽の矢を立てられたのでした。ベアテさんが何十年もの長い沈黙を破って、日本国憲法の起草に携わったことを明かした、今から10年程前から、テレビ番組、本の出版など色々始まったのですが、直接のきっかけは名古屋の方で作られた、24条を各国語で染めたスカーフを目にしたことからだったそうです。

大学の先輩後輩という間柄のこの人たちが2003年お正月にはお酒も入った勢いで「戦後60年の2005年には絶対間に合わせよう」と衆議一決しました。

   “泣いてすがったベアテさん”
それから色々勉強を始めたところ、ベアテさん一家の物語はそれだけで大変面白い、感動的な題材でしたが、すでにテレビ放映されビデオも売られている「私は男女平等を日本国憲法に書いた」、「日本国憲法を生んだ密室の9日間」などがあり、特に「密室の9日間」は完成度が高く、同じ狙いで作ってもこれを超えるものは出来ない、と思ったんですね。そこで、方針を変えました。
ベアテさんが最初に日本国憲法草案に書き込んだ盛り沢山の条項が、アメリカ側の草案委員会の中で削られてしまいました。ベアテさんはそのときGHQの上司に泣きすがって抗議したそうですが、今の第24条と、14条の一部だけになってしまった。
ベアテさんは少女時代を東京で育ち、日本の女性の地位、立場をよく知っていました。それに世界各国の憲法を調べて、女性の地位向上に必要と思うことを全部盛り込んだわけです。憲法には細かすぎるという理由で削られたが、その後の日本の法律でどう整備されたのか、されなかったのか、そして社会の中でどうなって行ったのかを描こう、検証しようじゃないかと、話は決まりました。

   “退職金、出しなさい”
話は決まったけれども、製作資金の当てが無い。どうするかと悩んでいた2003年11月の国際女性映画祭に、赤松さんの役所の後輩で労働省を退官したばかりの岩田喜美枝さん(資生堂取締役)が現れた。
高野さんが「あなた、退職金あるでしょ。出しなさい」。みんなで「有効に使った方がいいわよ」とおどすと、「出します、出します」。半分冗談かと思っていたらほんとに出して、しかも資金集めの中心になってくれて、2004年5月から具体的に動き出しました。国際女性映画際にも出したいというので、正味5、6ヶ月で撮りました。私は一時腰が立たなくなるほどでしたよ。

   “「男女同権」喜んだ父”
私の所は、元々リベラルというか女権の強い家庭でして、いつも尻に敷かれていた父が、新憲法が出来たとき「これで我が家も同権になる」と喜んだくらいですから、女性の権利といった問題に私は目を向けていませんでした。
映画のプロだけれども、女性史にはシロウト。映画を作る過程がすべて勉強でした。いろいろな人に話を聞き、相談し、目を開かれながら進んで行きました。
これが結果的に良かったのではないでしょうか。私の主義主張に基づくのではなく、色々な立場の人たちのお話を謙虚に聞くことが出来た。映画を見た人たちから「名前だけ知ってる雲の上の人、近づきがたい“闘士”と思っていた人、女性学を解説してくれる人などが実に謙虚で人間的な魅力のある人たちであることが良く分かった」と感想を言われ、励まされました。情報力では活字にかなわないけれども、これが映像の力だと再認識しました。

   “「ペトルーシュカ」発見!”
ベアテさんの父、ユダヤ人レオ・シロタは一世を風靡したピアニストでした。世界中を演奏旅行していました。
特に、ストラビンスキーの「ペトルーシュカ」が人気だったそうです。ベアテさんは1923年、ウィーンに生まれ5歳まで過ごします。ハルビンの演奏会を聴いた山田耕筰が、シロタを熱心に日本へ誘い、ついには東京音楽学校(現芸大)教授として17年間とどまります。ヨーロッパではナチスが台頭していて、帰ろうにも帰れなかったのです。
そんな背景があって、シロタのペトルーシュカを聴きたいと思い、随分探しましたところ、あの「銭形平次」の作者野村胡堂さんが残した8000枚のレコードが岩手県の記念館にあり、シロタ演奏盤はペトルーシュカ1枚だけがある、という答えが返って来ました。
館長さんに無理を言って、そこでベアテさんが父の演奏を聴きながら講演する筋書きが実現しました。思いついた時点で、半分は出来たな、と。
映画評論家の佐藤忠雄さんにも褒められました。

   “ベアテが居たからこそ”
日本でドイツ系の中学に通っていたベアテさんも差別を受けるようになり、高校はアメリカン・スクールへ、さらに大学はアメリカへ留学します。
ところが、今度は日米関係が悪化しました。シロタ夫妻がアメリカに娘を尋ねてきて、夫人や周囲はアメリカにとどまるよう勧めたのですが、シロタは日本に大事な弟子たちがいるからと帰国。その20日後に太平洋戦争が始まり、親子は終戦後まで泣き別れ、音信不通となりました。
ベアテさんは自力で学費、生活費を稼いで暮らし、終戦後に軍の仕事を見つけて日本に渡り、やっと両親と再会します。この仕事の中で、6ヶ国語を話し日本の実情を良く知る彼女も憲法起草班に任命されました。ほかのメンバーも学者、弁護士、ジャーナリストなど職業軍人ではなく、理想主義的な人たちでした。
24条は、このような生い立ちの彼女が、その場に居たからこそ出来た、と思います。

   “人類の理想に一番近い”
女性が社会に進出し、男女平等なんて、今の若い人には空気みたいなもので何をいまさら、と思うでしょうが、当時の日本政府側が強く抵抗したために天皇制問題に負けないくらい激論になった24条です。今でもこれを変えたい人たちがいるので油断なりません。当のアメリカ憲法でもまだ実現してない条項なのです。
同じことは9条についても言えます。
ベアテさんは軍の最高秘密だっただけでなく、年若い女が草案を書いたと知られれば改憲をもくろむ勢力に悪宣伝されると心配し最近まで沈黙を通しました。
一緒にアメリカ各地を回った市川房枝さんさえ、それは知らずに亡くなりました。しかし、今はかえって名乗り出て、これを守り世界に広めて行く力になろうとしています。彼女は「人類の理想に一番近い憲法」と言い、私もそう思います。

(講演会再録&要旨原稿作成・・・山口さん)


[左記の写真説明]・・・

(上)
講演会が始まる前の藤原智子監督&上映実行委員長のミス・バレンタイン
(写真提供・・・管理人)

(中)
講演会の参加者を前に挨拶する実行委員会委員長
(写真提供・・・山口さん)

(下)
講演中の藤原智子監督
(写真提供・・・山口さん)
「ベアテの贈りもの」上映会が終了しました!
8月26日(金)&27日(土)の2日間、アーバンホールで開催した藤原智子監督作品「ベアテの贈りもの」の上映会が終了しました。

2日間、合計8回の上映で、1200名を越えるたくさんのみなさまのご来場、どうもありがとうございました。


[左記の写真説明]・・・

(上)
上映を待つ観客のみなさま
(写真提供・・・管理人)

(中)
上映前の舞台挨拶をする上映実行委員会委員長のミス・バレンタインと実行委員の氏間さん
(写真提供・・・管理人)

(下)
上映終了後のアーバンホール・ロビー
(写真提供・・・管理人)

→すべて8/27撮影
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