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活動報告の詳細
『ジョニーは戦場へ行った』の上映会を開催します (ver. 6) 【終了しました】
2010.06.15
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【画像を印刷して持参すると、“前売り料金”でご鑑賞していただける“Web限定”のEクーポンのURLを上映日程の部分に掲載してありますので、どうぞご利用ください】

札幌映画サークルでは、毎年8月に開催している“反戦映画”の上映会を今年も開催することになりました。

2010年は、戦場で両手、両足、耳、眼、口を失い、第1次世界大戦が終わってから15年近くも生き続けたイギリス人将校が実在したという事実をヒントに、ダルトン・トランボが1939年に発表した小説「ジョニーは銃をとった」を、D・トランボ自らが脚本・監督した反戦映画『ジョニーは戦場へ行った/Johnny Got His Gun』(1971年制作・1973年日本公開/1971年カンヌ国際映画祭審査員特別賞、1972年度芸術祭大賞)を上映します。


『 ジ ョ ニ ー は 戦 場 へ 行 っ た 』
もしも人間が一挙に五つの感性を失ったのちも、生き続けていくとしたら、その世界はどのようなものなのだろう。

第一次世界大戦が終わってから、15年近くそうした状況の下に、生き続けたイギリス人将校が実在したという事実をヒントに、ダルトン・トランボは、1939年に小説「ジョニーは銃をとった」を書きました。
この作品は、レマルクの「西部戦線異状なし」、ヘミングウェイの「武器よさらば」と並ぶ反戦小説の傑作として大きな反響を呼びました。
それから30数年後、D・トランボ自身が監督して完成させたのがこの作品『ジョニーは戦場へ行った』です。


『 ジ ョ ニ ー は 戦 場 へ 行 っ た / Johnny Got His Gun 』

1971年 / アメリカ映画 / ダルトン・トランボ監督作品 / 111分 / パートカラー / ビスタサイズ

製作・・・ブルース・キャンベル / 原作・脚本・監督・・・ダルトン・トランボ / 撮影・・・ジュールス・ブレンナー / 編集・・・ミリー・ムーア

出演・・・ティモシー・ボトムズ、キャシー・フィールズ、ドナルド・サザーランド、ジェイソン・ロバーズ、マーシャ・ハント、ダイアン・ヴァーシ、エドワード・フランツ、他

* 1971年第24回カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ受賞
* 1971年国際映画評論家連盟賞受賞
* 1971年国際エヴァンジェリ映画委員会賞受賞
* 1972年度芸術祭大賞受賞
* 1973年第47回キネマ旬報ベスト10外国映画部門第2位(読者選出ベスト10外国映画第1位/読者選出外国映画監督賞)
* 1973年外国映画興行収入ベスト10第8位

【この作品は、1973年4月7日に日本で公開されました】

上映日程
【会場】
  札幌市教育文化会館4階講堂(札幌市中央区大通西13丁目)

【開催日時】 2010年8月27日(金) 開場時間・上映の各20分前
  1) 11:00〜、 2) 13:30〜、 3) 16:00〜、 4) 18:40〜     

【鑑賞料金】
  前売り(一般) 1,000円 (当日1,200円)
  シニア・大学生 1,000円 (前売り・当日共)
  高校生以下    500円 (当日のみ)
  映画サークル会員 無料
※市内プレイガイドで前売り券発売中
 (札幌映画サークルで電話・Fax・Eメールで予約も受付中)

主催・・・札幌映画サークル
後援・・・札幌市・札幌市教育委員会

【お問い合わせ: 札幌映画サークル (Tel & Fax 011-747-7314、Eメール sapporocinema@yahoo.co.jp)

* e-coupon ↓
http://sapporocinema.net/album_image_a.php?RID=8&ID=3482


美しく、瑞々しい人間の素晴らしさ!
あれほど青春の輝きに満ち、恋人と愛情を確かめ合った肉体は、戦場で引き裂かれてしまった。

両手、両足、耳も眼も失った。
名前も失った。
それでも青年の意識は、心は、生き続けている。

肌に感じる陽のぬくもり。
文字のなつかしさ。
意志や心情を伝えるなにげない接触が重要な意味を持つことの発見。
そうしたすべてが青年の心を動かす。

これは、まるっきり“物体化”した人間が、人間そのものに復活していくさまを見つめた驚異的な感動作である。

現実と過去の思い出と幻想とを交錯させ、人間の意識の底にまで食い込んでいくこの映像美。

その中で青春の輝きを対峙される青春の現実の痛ましさは、人間が人間として生きることを奪い去る戦争を痛烈に告発し、反戦の訴えとなって、しみじみと私たちに迫ってくる。

赤狩りと戦い抜いたダルトン・トランボ
人間の意志の強さが、テーマに寄り添って、より強烈な印象を与えていくこの作品は、ダルトン・トランボが、65歳の処女作です。
そこに込められた反戦の精神は、人々の心に留まり続けるだろう。今も、そしてこれからも、永く続いていく。

アカデミー賞を受賞した『黒い牡牛』、『ローマの休日』など、変名によるシナリオを含め、『栄光への脱出』、『スパルタカス』、『フィクサー』に至るまで“赤狩り”に耐え抜きながら、多くの傑作シナリオを書き続けたこのシナリオ・ライターは、自作小説の映画化で初めて監督になりました。


ダルトン・トランボのプロフィル
1905年12月5日、アメリカ・コロラド州モントローズ生まれ。
コロラド大学を卒業後、雑誌記者、編集者を経て、映画のシナリオを書き始める。脚本家デビュー作は、『潜水艦SOS』(1937)。
ハリウッドを席捲した“赤狩り(マッカーシズム)”で、証言を拒否した映画人集団“ハリウッド・テン”の1人。
1947年の第1回聴聞会で証言を拒否したことで逮捕・禁錮刑に服した。
出所後、偽名でシナリオを書き、ロバート・リッチ名義で原案を担当した『黒い牝牛』がアカデミー賞脚本賞原案部門を受賞したが、名乗り出ることが出来なかった。(『ローマの休日』の脚本も実はイアン・マクレラン・ハンター名義で担当していたことが1993年に公表されている)
1960年の『栄光への脱出』で脚本家として名を公表し、以後は実名で作品を発表。自作『ジョニーは銃をとった』を「ジョニーは戦場へ行った」として自ら監督した。

【脚本代表作】
『ローマの休日』(1953) * イアン・マクレラン・ハンター名義
『スパルタカス』(1960)
『栄光への脱出』(1960)
『ガンファイター』(1961)
『脱獄』(1962)
『いそしぎ』(1965)
『フィクサー』(1968)
『ジョニーは戦場へ行った』(1971) * 監督も
『パピヨン』(1973)
『ダラスの熱い日』(1973)

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